キリスト教やユダヤ教の基本的な経典は聖書です。キリスト教は新約聖書、旧約聖書、ユダヤ教は旧約聖書を経典としています。
キリスト教派の一部に聖書を字句通りに信じる教派があります。いわゆる根本主義あるいは原理主義です。この考えは1980年代から広まったみたいです。聖書、特に新約聖書を字句通りに解釈しています。熱心な信者が多いようです。しかし根本主義は他の宗教にも見られます。根本主義者は私たちは全く正しいと信じています。私もかつてはそうでした。
新約聖書には病気の治癒に関する教えがあります。例えばマルコによる福音書16章17~18節には「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。・・・病人に手を置けば治る。」です。手を置けば治ると記されていて、手を置いて祈れば治る、ではありません。祈らなくても手を置くだけで治るはずですが、妻の脳腫瘍は癒されませんでした。
さらにヤコブ書5章13~14節には「 5:14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。5:15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主はその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 」とあるので、2度お招きし、妻の癒しと罪の赦しを乞うために、妻の額にオリーブ油を塗り、病の癒しを祈ってもらいましたが、癒されませんでした。
このような出来事から「聖書の記録は真実ではないな」と考えるようになり、スピリチュアルな方向へと私を押し出しました。第一コリント10章13節には「神は真実な方です」とあるので、根本主義者は聖書の御言葉が字句通りに実現しないのは、隠れた罪があるとか、信仰が小さいとか、祈りが足りないからだ等、と言います。キリストは、からし種ひと粒ほどの信仰があれば・・・と言っています。大きな信仰はいらないのです。ただ、妻の死は神の御心であれば、癒しの祈りは通じません。でも、マタイ福音書10章8節では弟子たちに対し「病人をいやし、死者を生き返らせ・・・」と記録されていますから、病気をいやすことは神の御心、妻の死を定めることも神の御心なら、一体、神は何を考えているのか分からなくなります。根本主義のジレンマです。こうして根本主義と決別しました。
長い間スピリチャル分野に関心を持たなかったのは、この分野に関わると、悪霊と関わることになるかもしれない、と教えられたこと、聖書にほとんど記録がないことにあります。今思えば、スピリチャル分野を探索すると、聖書との違いが明確になるので、関わらせたくなかったのでしょう。
宇宙論では、地球は丸いこと、太陽系第3惑星であること、太陽系は天の川銀河の一部であること、ブラックホールなど常識ですが、聖書には記載はありません。聖書に記載がないので、太陽系や天の川銀河、ブラックホールは存在しない、悪霊と関わることになるというならば、頭がおかしいと思われるでしょう。中世ヨーロッパの暗黒時代と同じです。スピリチュアル分野についても同様なことが言えます。単に現代の科学レベルではスピリチュアルな現象を説明できないだけですから・・・
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