細川ガラシャ

NHK総合2020年11月18日放送の番組、歴史秘話ヒストリアで「戦国に生きた女性 細川ガラシャ 17通の手紙が伝える素顔」を見ました。キリストを信じて、変えられていく様に感動を覚えました。

ガラシャという洗礼名は「神の恵み」です。日本名は明智珠で、縁あって細川忠興に嫁いでいます。その後、高山右近からカトリックの話を聞き、やがてキリストを信じ、洗礼を受けます。忠興は「5人の側室を持つ」と言い出すなど、ガラシャに辛く接するようになります。ガラシャは「夫と別れたい」と宣教師に告白しました。カトリックでは離婚は認められないこともあり、宣教師は「誘惑に負けてはならない」「困難に立ち向かってこそ、徳は磨かれる」と説き、思いとどまるよう説得します。

忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣すます。西軍の石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしますが、ガラシャは拒絶、その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませます。家臣たちがガラシャに全てを伝えると、ガラシャは少し祈った後、屋敷内の侍女・婦人を全員集め「自分だけが死にたい」と言い、彼女たちを外へ出した。その後、自殺はキリスト教で禁じられているため、家老の小笠原秀清(少斎)がガラシャを介錯(かいしゃく)し、ガラシャの遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自死します。彼女が詠んだ辞世として「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」と記しています。石田三成はガラシャの死の壮絶さに驚き、諸大名の妻子を人質に取る作戦を中止します。ガラシャの死を知った忠興は関ケ原の戦いにおいて、徳川方に勝利をもたらします。

細川ガラシャは気品が高く、激しい性格の持ち主でだったらしいが、キリストの教えを知ってからは、謙虚で忍耐強く穏やかになっていったらしいです。当時バテレン追放令が発布されていたこともあり、忠興は棄教させようとしたが、珠の変化を見て、黙認しました。その後、忠興は領地内に教会を建てます。現在は大阪市東淀川区にある崇禅寺にガラシャのお墓があります。

キリストを知ることは、困難や苦しみの中で耐える力(忍耐力)を得、人生を全うする勇気を与えられる経験だと思います。

本文の一部はWikipediaから引用しています。

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